9月25日に元予備校教師で「金ピカ先生」こと佐藤忠志さんが自宅で死去しているのが見つかった…という記事をヤフー!ニュースで知りました。
僕は高校を卒業したら就職するつもりでしたが当時憧れていたアントニオ猪木さんがサトウキビの残りかすを豚の餌にして世界の食料危機を救いたい…と事業を立ち上げたことを知りました。その頃通学の電車でたまたま向かいあった人が読んでいた新聞に「砂漠で野菜がすくすく」という見出しが見え後で調べてみたら鳥取大学農学部が砂丘の緑化に取り組んでいるという記事でそれを読み鳥取大学に行きたくなりました。
1年浪人させてもらいましたが授業や東京の生活のペースについていかれなかったり知り合いが居なくて何ヵ月も人と話をしないうちに十二指腸に潰瘍ができてそれをきっかけに引きこもりになり昼夜が逆転する生活になりました。
3月になりいつまでも甘えていられないと自活を始め工事現場のガードマン、倉庫での軽作業、新聞販売店の住み込みといろいろな仕事を体験しているうちに何がやりたいのか?分からなくなり普通のサラリーマンになろうと思い2年遠回りして専門学校に入学しました。
いざ専門学校に入学しても広い教室でマイクを使った授業
出席はIDカードで入学時にたくさんいた同級生も夏には激減していました。
高校時代に習った簿記会計の初歩を他のクラスメートと学入学時のパンフレットにあった〇〇コースというのも基本はマイクを使った授業で選択科目をとって〇〇コースと言っているのを知り学校に幻滅しました。その専門学校は少子化の波に飲まれだいぶ前に閉校しましたが自分の人生が浮上出来ないな…と当時は真剣に悩みました。
クラスメートもバイトや遊ぶ話ししかしないしサークル活動とかも盛んでなくならば大学に行った方が実りが多いと思い専門学校に籍をおきながら仮面浪人してもう一度大学を目指そと思い書店に行き佐藤忠志さんの本を見つけました。
女性に電気アンマをした話が印象的でしたが一流大学が成功のパスポートに思え自分がそうしたルートから外れていることを感じました。専門学校入学時は資格をたくさん取得したいと思いましたが入学した専門学校では無理だと知りもう一度大学受験をして卒業しても25才で新卒扱いは無理だと思うと残りの専門学校生活は東京生活を満喫するものにしようと違った決意をさせてくれました。
僕は佐藤忠志さんには直接は学んでいませんが著書を読み強い影響を受け資格取得から東京生活満喫にベクトルが変わりその後興味があったボクシングジムに入門、紆余曲折がありながらも数年後にはキックボクシングのプロのリングに上がれそれなりの青春時代が過ごせ金ピカ先生には感謝をしています。
金ピカ先生は億単位の収入があったと思い晩年は生活保護を受け孤独死したのは驚きでした。
しかし金ピカ先生は劣等感があったら晩年はメディアに出ないはずで人がたどり着けない風景を見たという面もあったと思います。そして多くの若者を希望の進路に導いたという善の行いも普通の人より強かったと思い良き人生だったと思います。
僕は独身子無しなので将来孤独死する可能性は大だと思いますが金ピカ先生の最後を知り自分のことのように感じました。そして残りの人生20年位を良いものにしたいと思いました。
それは専門学校の頃に金ピカ先生の著書を読み資格取得から東京生活の満喫にベクトルが変わったように再び金ピカ先生によって人生を考えるきっかけをもらいました。
金ピカ先生、人生の指針をありがとうございました。ご冥福を祈っています。