2020年02月23日

斉藤彰俊選手/レスラー30周年記念試合/2月24日名古屋で開催

僕は昭和のプロレスファンで金曜日夜8時から放送されたワールドプロレスリングが好きでした。現在は女性ファンも増え盛り上がっていますが僕が好きなレスラーはノアに所属する斉藤彰俊選手です。

1991年当日僕は大阪に住んでいました。お盆休みに青春18キップで帰省しましたが途中塩尻市体育館で斉藤彰俊選手が格闘三兄弟で売り出していたウイングの試合があり途中下車して観戦しました。

ミスターポーゴ選手が率いるプエルトリコ軍が日本人レスラーを蹴散らしていましたが斉藤彰俊選手は空手技で頭1つ大きいプエルトリコ軍と真っ向勝負して1人気を吐いていました。

僕は斉藤彰俊選手のファイトに魅せられ1日しか長野市に居らず豊橋や津島等ウイングの試合を観戦しながら帰り次のシリーズは和歌山県の新宮市まで行きました。当時は大阪にいたので車はなく野鳥保護区のような場所にあった体育館から宿泊したビジネスホテルまで歩いて帰った記憶があります。

ウイングは間もなく潰れデスマッチ路線の新体制で始まりました。しばらくしてから塩尻市体育館にも巡業に来ましたが斉藤彰俊選手がいないので迫力やロマンがなくなったと思いました。

父親の病気のために長野市に帰り自分でも格闘技を始めたり家を建てたり転職等いろいろなことがありプロレス観戦から遠ざかっていました。

それから20年程過ぎました。アークスにあるかかりつけの歯科医に行くとアークスホールにノアが巡業に来ることを知りました。

アークスホールは卸売業団地の中にあり専門学校や安売りスーパーがある以外は長野市民にはあまり馴染みのない場所でプロレス興行とは無縁な場所でした。実に久しぶりにプロレスを生観戦しました

200~300人程しか入らない小さなイベントホールで昔の新日のように地方では手抜きするかと思っていましたがとんでもない誤解で斉藤彰俊選手は息子のような年の中嶋選手とガンガンやりあいウイングでプエルトリコ軍とやり合っていた頃を思い出しファイトスタイルは変わってもスピリットは変わっていないと思いました。

斉藤彰俊選手はオリンピックに出場したとか何の売り出しもなかった中で見事にレスラーとして生き残りウイングから大きく羽ばたいたことを知り感激しました。

先日ノアのホームページで2月24日に名古屋でレスラー生活30周年記念試合が開催されると知り胸熱でした。

斉藤彰俊選手がウイングに在籍した1991年から比べバブル経済が崩壊したり携帯電話が普及して世の中大きく変わりましたが斉藤彰俊選手は時代の流れに負けずに真っ直ぐに生き30年を迎えたことはプロレスという道を貫いたようで素晴らしいと思います。

最終の電車が間に合わなかったりコロナウイルスの影響があり名古屋に行かれずに申し訳ありませんが斉藤彰俊選手レスラー生活30周年おめでとうございます。名古屋大会の盛会と斉藤彰俊選手の更なる活躍を願っています。



Posted by プラネマン4 at 09:15│Comments(0)
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